■Monterey手前でHighway1を降り68番を東に進んで10分ぐらい行くと左側にLaguna
Secaの看板が見えます。小高い丘を上に上に行くとゲートがありキャンプをする人はそこでお金を払います。写真を撮りたいんだけどいい?
っと聞くとスンナリそこを通りLaguna Seca内に入れてくれました。Laguna Seca Recreation Areaには2.238マイルのレース場とキャンプ場があり9月にはThe
HONDA Grand Prix of Monterey、10月にはGlobalCenter Sports Car Championshipsなどのレースが行われています。
その日はMontereyハイスクールの総合同窓会がレース場内で盛大に開かれいていました。
■その後、我々一行はHighway1を南に下り目指すはMonterey市内外れにあるLaguna
Seca Recreation Areaその途中にCastrovillでチョット休憩、ここCastrovillはArtichokeと言う野菜の生産地区として知る人ぞ知る小さな町です。
Artichokeはゆでてマヨネーズをつけて食べたりピザの具にしたりして食べられています。ここGiant
ArtichokeではArtichokeのフライがフルーツスタンドで売っているのでトラックの運ちゃんや観光の人達がチョコット寄ってArtichokeの味を楽しみます。Artichokeはけっこういけますのでアメリカに来た際には、一度お試あれ。写真はGiant
ArtichokeとJerry Doll

■StocksのDeadに関するオブザーバー
なべさんはこの地で1988年7月29日から31日まで開かれたDeadのコンサートをキャンプをしながら見ていた思い出の地であり、CueはDeadのコンサートこそ見ていないがここで数回キャンプをしています。丘の上にあるキャンプ場がら見下ろす風景は絶景です。キャンプ場からここで開かれたDeadのコンサートを想像するだけでもワクワクしてきます
■Laguna Secaを後にしてDeadには関係ないがMontereyに行きFisherman’s
Wharfでクラムチャウダーを舌づつみ。ここのクラムチャウダーはとっても味が濃く美味しいのでオススメです。サンプルを配ていますのでお試あれ。どこに行っても漁師の町は元気いっぱいですね!Fisherman’s
Wharfの看板前でWharf Ratで記念写真(笑)クラムチャウダーでお腹もイッパイになったので、その日の取材を終えSanta
Cruzへの帰途につきました。
(左)Fisherman’s
Wharf!
■さて翌日はシリコンヴァレー周辺のパロアルト地区。ここは西海岸のハーヴァードといわれるスタンフォード大学を中心に、若き日のジェリーガルシア(Grateful
Deadのリーダー)が過ごしたメンロカレッジと、ブルースマンの眠るところです
■パロアルトの町はスタンフォード大学を中心に今をときめく数々のITベンチャーが誕生した土地で、70年代にMacintoshを生んだAppleの創立者達もこの地にある某企業の研究所で、現在のMac
OSの原型となる当時としてはブットンだGUIを見ています。
だからMacはヒッピー達の生んだコンピュータと呼ばれていますよね?Winは.....(涙)
この地で生まれたDead初期のエピソードは数々あり、我々では語り尽くせませんが、大げさに言えば21世紀を前にした(取材時2000年夏)文明の中心地でシンクロしたGrateful
Deadとコンピューター産業...。アメリカのサブカルチャーの代名詞と言っていいDeadと、そのテクノロジービジネスから巨万の富を創出するオオバケの資本主義スタイルは、不釣り合いながらもそこで関わっていた人達がアメリカの2つの文化を背景に一つの歴史を作ったことが大きく象徴しています
(右上)スタンフォード大学入り口のパームツリー
(下)キャンパス内
(Frost Amphitheatreはぽつんと寂しいところにありました)
■Stanford University campus内にあるFrost
Amphitheatre。Stanford UniversityはあのTiger Woodsも通っていた大学で、キャンパス内にあるゴルフコースにはTiger
Woodsがここまでボールを飛ばした等の目印があるらしい…Tiger WoodsはStanfordの卒業を待たずににプロゴルファーになりました。その理由は彼のここ数年の活躍を見れば納得がいきます。
ここで面白いエピソードがあります。Tiger Woodsの学生時代のキャディは筋金入りのDeadHeadsで、リキッドブルーからTシャツなどの援助を受けていたそうです。リキッドブルーの本社にはToger
Woodsの活躍を記念した超レアなベアーが存在します
■Frost AmphitheatreでのDeadのコンサートはUC
BerkeleyにあるGreek Theatreのコンサートと並びFamily Showsと呼ばれ昔ながらのDeadheads達に親しまれておりました。小さい野外コンサート場なのでDeadheadsは恋人や子供達と一緒にピクニック気分でコンサートに訪れ太陽の日差しの下でShowを楽しんでいたそうです。
Frost AmphitheaterはTouch of Greyの誕生地でもあります。Campus内にいる学生に場所を聞きながらやっと発見したFrost
Amphitheatreだが看板も何もなく入り口らしい所にある金網のみ金網の向こうに見える林の先にあるさびしい場所でした。素晴らしいFrost
Amphitheatreを想像しながら少し残念に思いつつStanfordを後にしてEl Camino Real(道の名前)を北に向かいます。
■Stanford UniversityのあるPalo
Alto市や その北にあるMenlo Park市などはDeadの草創期に深く関係があります。Jerryは60年代前半にそこでRobert
Hunter(デッドの曲の作詞を数多く手がけた人:ベアーの名前はこの人の作詞した歌詞に由来するものがほとんどです)と出会い、Menlo
Park市にあるMenlo CollegeではGrateful Dead 以前のThe Warlocks時代にそこで最初の頃のギグを開いたと言われています。
(左)Menlo
Collegeの校門の前でJerry Dollで記念写真…
■El Camino Realを今度は南に向かいRon
Mckernan(Pigpen・ブルースマン)の眠るAlta Mesa Memorial Parkへ。El
Camino Real沿いにあるCueの知り合いのお花屋Green Worldで薔薇の花を一本買ってAlta Mesa Memorial
Parkへ行き墓守に地図をもらい、Pigpenの墓標の位置を確認して車で近くまで行き、それから二人してPigpenの墓標を探しました。Pigpenの墓標はひっそりと他の墓標達と同じように静かにたたずんでいました。墓標の上には“Pigpen
Was and Is Now Forever One of the Grateful Dead”(ピグペンはグレートフルデットの一人であった、そして今もなお永遠にグレートフルデットの一人である。)と書かれてあり、厳粛な気持ちと共に彼の生の演奏が聞けない事をとても残念に思い、偉大なミュージシャンの冥福を祈りながら彼の分身であるBlues
Manと薔薇を彼に捧げ私達はそこを後にしました
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