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■1928年4月最後の日、片手で汽笛を持ち、もう片方の手で空気制動機レバーを握りしめながら職務中に亡くなった歴代機関手達の中でもっとも有名な機関手Casey
Jonesの28年忌が行なわれました。Casey Jonesの名声は、詩と呼ぶには程遠いこれといった特徴のない詩歌に綴られていました。それらの歌詞は黒人エンジンワイパーでCasey
Jonesの親しい友達であったWallace Saundersによって書かれ、テンポの速いメロディーで彼自身によって歌われていきました。
Casey Jones夫人はテネシー州ジャクソンに現在(この記事が書かれた1928年現在)も住んでおります。彼女には2人の息子と1人の娘がおります。若い息子のCharles
Jonesはジャクソンに住んでいて、上の息子 Lloydはメンフィスオートエージェンシーで働いており、一人娘は結婚しGeorge
Mckenzieとなりアラバマ州トスカローサに住んでおります。
Janie Brady
(Casey Jones夫人)が“誓います”を言ってJohn Luther(Casey) Jones の花嫁になってから41年の月日が過ぎましたが、今でも彼女はその喜びに満ちた時を大切に覚えています。齢60歳になってもふっくらとした金髪の彼女は朗らかに笑みを浮かべながら、まるでマの辺りで見たかのように彼女の夫が亡くなった時の事や、どのようにWallace
SaundersがCasey Jonesの曲を作りその曲が数年後に叙事詩的な鉄道員物語として国内中に広がっていったかを話してくれました。
■“私の夫の本当の名前はJohn
Luther Jonesです。” Casey Jones夫人は最近のインタビューそう話してくれました。 インタビュアーはJones夫人に彼女の夫がどのようにCaseyのニックネームが付けられたかたずねました。
“あら、その事は誰でも知っている事よ!”彼女は答えました。“そのニックネームはケンタッキー州にある彼の生まれた土地の近くにあるCayceと言う町からとられたのよ。町の名前は地元でCaseyの発音で呼ばれているわ。”
Jones夫人はWallace Saundersにもう何年も会っていないが、彼の事をよく覚えていました。“WallaceのCaseyに対する憧れは崇拝に近いものがあったわ。”“彼はCaseyが貨物運送機関手だった時でも常に自慢げにCaseyの事を話していたわ。“
Casey Jonesは広く鉄道員の中に彼の独特な汽笛の腕前で知られていました。
ある日Caseyと彼のファイアーマンであったSim
Webbは4月29日、日曜日夜10時にCantonからMemphisに着きました。彼等はオフィスに行き、家に帰る準備をしている時にCaseyは誰かが“Joe
Lewis(別の機関士)が急激な腹痛で倒れて、彼が今晩彼の機関車を出す事が出来ない”と叫んでいる声を聞きました。Caseyは“私がLewisの代りに彼の古い638号を出す。”とボランティアを申し出ました。
■11時を回った雨の日曜日深夜にCaseyとSim
Webbは機関車をゆっくりステーションから出しSouth Memphis方面に向かって行きました。 4月30日の朝4時頃、ミシシッピー州の小さな町Vaughn付近の町にさしかかる手前にある長くクネクネと曲がったカーブを抜けカーブが終わった辺りから退避線が始まる所で
“貨物列車が待避線にいる。”とCaseyがSim Webbに叫びました。退避線は長くて、そして今までもそこで何台もの貨物列車が互いに通りすぎていました。その夜も同じようにCaseyは通りすぎるようと考えていたが、その夜は2つのセクションに分かれている長い列車が退避線にいました。そして後ろのセクションは少し長く退避線から余り本線にものっていました。待避線にいる貨物電車の乗員は前後に動かして前方から向かってくる列車を通りすぎようと考えていました。それは、乗客列車が通りすぎた後に貨物列車を前方にある本線に進める事により後ろのセクションを本線から退避線に動かし本線を空にする方法でした。しかしCaseyのスピード‐時速50マイル(約時速80キロ)は、貨物電車の乗員が思っている程容易ではなかったのです。
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■古い638号が退避線の終わる数百フィート手前にさしかかった時、ぞっとしたCasey
JonesとSim Webb目には、暗がりにボンヤリと現れた幾つもの貨車が本線から待避線に移って行くのが見えました。その瞬間、2人はどうやっても激突を防ぐ手段が無い事を悟りました。
“飛び降りろSimそうすればオマエは助かる!”それはCaseyがファイアーマンに与えた最後の命令でした。彼自身は機関車を逆進に入れそしてブレーキをかけました。とどろきをあげながら前進していく638号はまるで火の付いた木片と化していました。Sim
Webbは機関車から飛び降りヤブの中に落ちケガ1つしませんでした。
写真左 : Vandor社製 ケーシージョーンズクッキージャー
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■残骸からCaseyの体を発見した時、Caseyは片手で汽笛のコードを握り締め、もう片手では空気制動機レバーを握り締めていたままでした。
“私はよく覚えています。”Sim WebbはCasey夫人に言いました。“私が飛び降りた時にCaseyは汽笛を長く刺し通すように鳴り響かせました。私は、Caseyが貨物列車最後尾の乗務員車にいる乗務員達に危機を知らせる為に汽笛を鳴らし続けていたのだと思っています。”
Caseyの家族を除いて、その悲しいニュースを聞いて一番ショックうけた人物はWallace Saunders以外いないでしょう。
数日後、彼はメロディーにのって歌を歌い出しました。その曲は軽快なリズムで、それを聞いた人達に空想を与えました。しかし、正直者で古いソウルを持ったWallaceには彼の白人の友人であるCaseyの思い出を賛辞して歌を歌う事以外何も考えていませんでした。
ある日作曲家がJacksonを通りすぎた時、その曲を聞きCaseyの不幸な事故を知りました。その作曲家は町を去りそして歌の歌詞を少し変え、軽快なリズムとCasey
Jonesの名前を残し曲を広めて行きました。それは1902年頃の話しでした。
参考資料 : “Erie
Railroad Magazine” Vol 24 (April 1928), No2, pp. 13,44.
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